ありのままとは

ご縁あって3年前に出家し浄土真宗の僧侶として山田善杜となりました

様々な僧侶の姿を見て

「祈りのある生活」

に、憧れとにかく毎日お経を唱えるを試していました

継続が苦手な私

ではありますが夜寝る前に

小声で早口で唱えていました

ある日、農体験に来た女性も参加したいとのことで夜共にお唱えしました

すると、一匹のセミがなぜか侵入

窓閉まっているのに……

お経の途中での出来事

「セミ入ってきたー」

お経唱えながらも、頭はセミが気になってます

「どんな状況でも集中してお経」

と、思いながらも部屋で飛び回るセミが気になって仕方ない

ふと、気付きました

「何のためのお経?」

夢中になって頭の掃除ができるはずが、こんな状態で意味がある?

バカらしくなり途中で止めました

人それぞれ集中できる世界は別

淡々と、洗濯干したり、調理したり、掃除したり、

生命を活かすことが生活

普段の生活こそが祈りと伝える先人のメッセージ

昔は自然からの恵みを頂きながらの「生活」だったから自然に祈りがあった

釘を抜いているときとても愛しい気持ちになれます

世界で山火事が広がって焼き尽くされてく森林 

今、釘を抜くことが私にとってのお経時間

「ギーギー」

釘が抜ける時に鳴る音

新たな姿で生まれ変わる木の喜、希、気、祈

木とご縁が深いようです

山田善杜